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熊本地方裁判所 昭和61年(ワ)755号 判決 1989年9月11日

原告 豊田時雄 ほか一名

被告 国

代理人 福田孝昭 余田武裕 武田節夫 椋野浩文 諸岡満郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告豊田時雄に対し、金八三五万四〇〇〇円及び内金七六〇万四〇〇〇円に対する昭和六一年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告平井裕子に対し、金五五万円及び内金五〇万円に対する昭和六一年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事案の経緯

原告豊田は、「法定の除外事由がないのに、昭和五八年二月五日ころ、熊本県山鹿市大字山鹿一一八四番地の自宅裏空地において宮本政美に対し、塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤粉末約〇・一グラムを代金一万円で譲り渡した。」との被疑事実(以下「本件被疑事実」という。)により、昭和五八年三月一日熊本県菊池警察署に逮捕され(以下「本件逮捕」という。)、同月二日勾留され(以下「本件勾留」という。)、同月一八日本件被疑事実と同一の事実を公訴事実として熊本地方裁判所山鹿支部に起訴され(以下「本件起訴」という。)、同年一二月七日保釈されるまで勾留更新を継続され(以下「本件勾留継続」という。)、同五九年二月八日同裁判所において懲役一年二月の実刑判決の言渡を受けた(以下「本件有罪判決」という。)が、同日福岡高等裁判所に控訴し、同六〇年一一月一一日同裁判所において無罪判決が言い渡され(以下「本件無罪判決」という。)、右判決は同月二六日確定した。

2  違法な公権力の行使

(一) 本件逮捕・勾留の違法性

本件逮捕・勾留の段階で本件被疑事実を証明するものは、原告豊田から覚せい剤を譲り受けたとする訴外宮本政美(以下「宮本」という。)の供述のみであったところ、原告豊田は当時から一貫して本件被疑事実を否認し、犯行当日は朝から内妻である原告平井を自動車に同乗させて熊本県飽託郡北部町所在の訴外医療法人寺尾病院(以下「寺尾病院」という。)に治療のため赴き、その後久留米競輪に出掛けていて不在であった(以下「本件アリバイ」という。)旨主張し続けていた。しかも、当時原告豊田は一定の住居を有し、内妻の原告平井と同居中であり、トラック運転手として稼働し、任意の取調べにも快く応じていたのであって、逃亡ないし証拠湮滅の恐れは全くなかった。しかるに、担当の検察官、裁判官とも、宮本の供述の信用性を吟味することなく安易にこれを信用して原告豊田の弁解を排斥し、本件逮捕・勾留に及んだものであって、本件逮捕・勾留は、本件被疑事実が存在すると疑うに足る相当な理由がなく、またその必要性がないにもかかわらずなされた違法なものである。

(二) 本件起訴の違法性

本件起訴当時、捜査の進展とともに、原告豊田に本件アリバイが成立する可能性が濃厚となっていたにもかかわらず、この点に関する捜査は全くなされず、時間不明のまま原告豊田の犯行と独断し、本件起訴に至っていることが明らかである。つまり、宮本は原告豊田から覚せい剤を譲り受けたのは本件犯行当日の午前一一時ないし午前一一時三〇分ころと供述していたのに対し、訴外上野力(以下「上野」という。)及び同上野ミチコ(以下「ミチコ」という。)はその時間よりも一時間以上前に原告豊田が上野方に到着している旨供述し、原告平井も当日の午前一〇時には原告豊田とともに自宅を出発していた旨供述していたのである。しかるに担当検察官は本件アリバイの成立を確認すべき捜査をすることなく、漫然本件起訴に至ったものであり、本件起訴は将来有罪判決を得るべき合理的な理由がないにもかかわらずなされた違法なものである。

(三) 本件有罪判決の違法性

宮本は本件公判審理において証人として尋問され、本件被疑事実に副う証言を行ったが、その証言は重要な部分において変遷し、内容自体不自然、不合理なものであって、到底措信し難いものであった。これに反し、第三者である証人ミチコ、同上野の証言によって、本件アリバイの存在することが明らかとなった。したがって、本件有罪判決は、証拠の判断を著しく誤った違法なものというべきである。

3  損害

(一) 逸失利益 五六万四〇〇〇円

原告豊田は、本件逮捕・勾留当時、トラック運送業に従事して一日平均七〇〇〇円の収入を得ていたものであるが、本件逮捕・勾留により二八二日間右業務に従事することができなかったため、一九七万四〇〇〇円の受ぺかりし利益を喪失した。なお、原告豊田は刑事補償法により、一日五〇〇〇円、計一四一万円の補償を受けたので、結局五六万四〇〇〇円の損害が填補されないまま残存している。

(二) 面会費用 五〇万円

原告平井は本件逮捕・勾留当時から原告豊田と内縁関係にあり、本件勾留後接見が許されてからは殆ど毎日原告豊田に面会に訪れた。その間住居地の山鹿から勾留先の熊本拘置所までの旅費及び日当として一日平均五〇〇〇円の支出を余儀なくされ、合計一〇〇日間で五〇万円の損害を被った。

(三) 慰謝料 五六四万円

本件逮捕・勾留・起訴・有罪判決によって原告豊田が被った精神的損害を慰謝するには少なくとも頭書金額(一日当たり二万円)の金員が必要である。

(四) 弁護士費用

(1) 原告豊田は本件刑事事件の弁護のため、一審及び二審を通じて弁護士を依頼し、手数料及び成功報酬として合計一四〇万円を支払った。

(2) 原告らは本件損害賠償請求事件の訴訟追行を弁護士に委任し、原告豊田は七五万円、同平井は五万円の支払い義務を負担した。

4  よって、原告らは被告に対し、国家賠償法一条に基づき、それぞれ請求の趣旨記載の金員の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。但し、逮捕状記載の被疑事実の要旨は「被疑者は、法定の除外事由がないのに、昭和五八年二月五日ころの午前一一時ころ山鹿市大字山鹿一一八四番地被疑者方裏空地において宮本政美に対し塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有するビニール袋入り覚せい剤一袋約〇・一グラムを代金一万円で譲り渡した」というものである。

2  同2はいずれも争う。

3  同3のうち、原告豊田が刑事補償法により一日五〇〇〇円、計一四一万円の補償を受けたことは認め、その余は知らない。

三  被告の主張

1  刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに起訴前の逮捕、勾留、公訴の提起・追行、起訴後の勾留が違法になるということはなく、逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当の理由があり、かつ必要性が認められる限りは適法であり、公訴の提起・追行はその時点における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるというべきである。

2  本件逮捕・勾留・起訴・勾留継続・有罪判決の適法性

(一) 本件逮捕・勾留は、その時点において、原告豊田から覚せい剤を譲り受けたという詳細かつ具体的な宮本の供述があり、また原告豊田は宮本の知人であって、覚せい剤取締法違反の前科により執行猶予中であり、かつ、本件以外にも原告豊田に対する覚せい剤譲り渡しが数回行われていたことを自認していたこと等の事実に徴するとき、原告豊田の犯罪の嫌疑については相当の理由があり、かつ、逮捕・勾留の必要性も十分存在していた。

(二) また、担当検察官は、宮本の供述、原告豊田の供述を総合勘案し、原告平井、上野、寺尾病院の看護婦徳永郁代等に対する捜査を遂げ、本件アリバイは成立しないものと判断し、有罪の確信をもって公訴を提起したものである。

(三) 更に、本件有罪判決を言い渡した第一審裁判官も、関係各証拠を詳細に検討した上、宮本の供述を信用し、本件アリバイ主張を排斥したものであり、違法・不当な目的をもって裁判した等、裁判官がその付与された権限の趣旨に背いてこれを行使した事実はない。

四  被告の主張に対する答弁

いずれも争う。

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1(事案の経緯)は逮捕状記載の被疑事実の一部を除いて当事者間に争いがない。

二  本件逮捕・勾留の違法性について検討する。

1  <証拠略>、前記争いのない事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  宮本は、昭和五八年二月九日、同人に対する覚せい剤取締法違反被疑事件の捜索差押許可状に基づき、自己の着衣の捜索を受けて、着用していたジャンパーの左ポケット内からビニール袋入り白色粉末一袋、注射器及び注射針各一本等を発見され、これらを差し押さえられ、同日、覚せい剤所持の現行犯人として逮捕された。その際、同人の尿の任意提出及び領置の手続もなされ、右白色粉末及び尿につき、同月一〇日付で覚せい剤含有の有無についての鑑定嘱託がなされ、同年三月四日付及び同月一二日付の鑑定書によって、いずれも覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有するとの結果が報告された。

(二)  宮本は、右逮捕後司法警察員に対する取調べを受け、前記差押にかかる覚せい剤粉末一袋(以下「本件覚せい剤」という。)の入手先につき、当初は、昭和五八年二月五日午前一〇時三〇分ころ、福岡県八女郡の国道三号線沿いにある駐車場で、知人の訴外赤星克己(以下「赤星」という。)から一万円で買い受けた旨供述していたが、赤星が当時刑務所に服役中であったことが後日判明し、更に追求された結果、司法警察員に対する同月二一日付供述調書において、同月五日午前一一時ころ、熊本県山鹿市の原告豊田方付近で、同人から一万円で買い受けた旨供述するに至った。

宮本の前記司法警察員に対する供述は要旨以下のとおりである。

(1) 当初本件覚せい剤の入手先が赤星である旨述べた理由は、原告豊田の内妻である原告平井が同郷の出身で色々と世話になっていたことと、赤星から、覚せい剤で逮捕されたときは同人の名前を出しても良いと言われていたからである。

(2) 原告豊田からは、昭和五六年ころに同人が覚せい剤を使用していることを知ってから三回くらい覚せい剤を譲り受けたことがある。

(3) 昭和五八年二月五日午前九時ころ、神戸からの荷物を福岡市の瀬高農協で降ろし、長距離運転の疲れを癒すため覚せい剤を注射することを思い立ち、以前にも覚せい剤を譲り受けたことのある原告豊田に電話をかけた。その時は原告平井が出て、原告豊田は外出中であるというので、一時間くらい後に、山鹿に向かう途中の高速道路のインターチェンジ付近の公衆電話から再び電話した。その時は原告豊田本人が出たので、覚せい剤はあるかと尋ねると、売っても良いという趣旨の返事だったので、山鹿市内でもう一度電話をすることとしてその場は切った。車で約四〇分くらいかかって山鹿市内に入り、そこでもう一度原告豊田に電話を入れて、午前一一時ころに同人宅に到着した。原告豊田は家の外で待っていたので、同人に近づき、一万円札を同人の上着のポケットに入れた。原告豊田はマッチ箱を振って見せて、それに入っているとの合図をしたので、「マッチば貸してはいよ」と言ってマッチ箱を受け取り、その場でタバコにマッチで火をつけて、覚せい剤が入れてあるかどうか確認したところ、覚せい剤一パケが入っているのが分かったので、それを自分のポケットに入れ、しばらく立ち話しをした後そこを立ち去った。

(三)  昭和五八年二月二一日付で原告豊田の本籍地及び検挙歴等についての照会がなされ、同人が同五六年一月二八日熊本地方裁判所山鹿支部において、覚せい剤取締法違反により懲役一年(執行猶予付)の判決を受けている旨の回答がなされた。原告豊田の前科となっている犯罪事実は、同五五年一一月初旬に覚せい剤〇・五グラムを一万五〇〇〇円で売渡し、同年一二月六日に覚せい剤を使用し、同月一〇日に覚せい剤を所持したというものであり、これにより、同人は同五六年一月二八日に懲役一年執行猶予三年の判決を受けているものであるところ、本件犯行当時は右執行猶予期間中であった。

(四)  原告豊田は、昭和五八年二月二六日発付の逮捕状により同年三月一日菊池警察署で逮捕され、同月二日発付の勾留状により同日勾留され、接見等禁止決定を受けた。なお、右逮捕状記載の被疑事実の要旨は、「被疑者は、法定の除外事由がないのに、昭和五八年二月五日ころの午前一一時ころ山鹿市大字山鹿一一八四番地被疑者方裏空地において宮本政美に対して塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有するビニール袋入り覚せい剤一袋約〇・一グラムを代金一万円で譲り渡したものである」というものであったのに対し、右勾留状記載の被疑事実は本件被疑事実と同一であって、本件犯行時刻が逮捕状記載の被疑事実においては午前一一時ころとされているのに対し、勾留状記載の被疑事実ではそれが明らかにされていない。

(五)  原告豊田は本件逮捕後、即日、司法警察員の取調べを受けたが、宮本に対して昭和五五年以前に数回覚せい剤を譲渡したことがあることは認めたものの、本件被疑事実については身に覚えのないことであるとの供述を行っていた。なお、原告豊田は、この時点では、本件アリバイに関する供述を行っていなかった。

2  ところで、逮捕・勾留はその時点において犯罪の嫌疑について相当の理由があり、且つ必要性があると認められる限りは適法であると解するのが相当である(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日判決民集第三二巻第七号一三六七頁参照)。

そこで検討するのに、以上認定の事実によれば、本件逮捕勾留の時点においては、本件覚せい剤所持の現行犯人として逮捕された宮本が、本件被疑事実に副う供述を行っており、しかもその供述内容は具体的かつ詳細であるところ、これに対して原告豊田は、本件逮捕・勾留時点では本件被疑事実を単純に否認するのみであり、右時点で本件アリバイに関する供述はなされていなかったところ、却って、同人には同種前科があり、かつ、本件以外の宮本に対する覚せい剤の譲渡を自認していたということに徴すると、本件逮捕・勾留時点において、原告豊田が本件被疑事実を犯したと疑うに足りる相当な理由があったと言える。

また、本件逮捕・勾留時点においては、原告豊田は同種前科による執行猶予期間中であり、しかも、本件被疑事実を否認しているのであって、逃亡ないし罪証湮滅を防止するため身柄を確保する必要性のあったことは明らかである。

したがって、本件逮捕・勾留はいずれも適法と言うべきである。

三  本件起訴の違法性について検討する。

1  <証拠略>、前記認定事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  宮本は本件逮捕・勾留後、昭和五八年三月三日に検察官の取調べを受けたが、その際も、本件犯行に至る経緯及び本件犯行状況等につき、前記司法警察員に対する供述と大筋で一致し、本件被疑事実に副う供述を繰り返した。なお、右検察官に対する供述においては、本件犯行時刻を午前一一時ころから午前一一時三〇分ころまでの間であるとしている。

(二)  原告豊田は本件逮捕・勾留後、昭和五八年三月四日付、五日付、七日付、九日付の四通の司法警察員に対する供述調書、また、同月八日付、一五日付の二通の検察官に対する供述調書において、宮本に対し以前数回にわたって覚せい剤の譲渡を行ったことがある旨自認したものの、本件被疑事実に関しては一貫してこれを否認する旨の供述を繰り返したほか、本件アリバイに関し以下のような供述を行った。

(1) 本件犯行当日は、午前一〇時ころに内妻の原告平井を寺尾病院に連れてゆき、同人が点滴治療を受けている間に近くの上野方に遊びに行った。

(2) 上野が鶏小屋を作っていたのでその手伝いをし、上野方には午前一一時ころから午後〇時ころまで一時間くらいいた。

(3) その後原告平井を病院に迎えにゆき、治療の終わるまで病院で二〇分くらい待ったのち、同人を連れて高速道路を利用して久留米競輪に行った。

(三)  原告平井は、昭和五八年三月九日付の検察官に対する供述調書において、本件アリバイに関し、本件犯行当日は午前一〇時ころ原告豊田の車で寺尾病院に出発し、自分が同所で点滴を受けている間原告豊田は上野方におり、午後一時ころ原告豊田と共に寺尾病院を出て久留米競輪に向かった旨供述した。

(四)  上野は同月一〇日付及び一五日付の司法巡査に対する供述調書において、本件アリバイに関する供述を行っている。同人の最初の供述調書では、要旨「原告豊田は午前一〇時か午前一一時ころにやって来て、廃材を燃やす手伝いをしてくれた。昼食は少し遅れて午後一時ころにとった。原告豊田は午後二時ころ、もう点滴も終わっているころだと言って帰っていった。」となっているところ、同人の二通目の供述調書では、要旨「原告豊田が来た時刻ははっきりとしないが、昼食前に一時間くらい鶏小屋を作る手伝いをしてくれた。作り始めたのは午前一一時ころだったので、原告豊田が来たのは午後〇時ころではないかと思う。昼食は午後一時から午後一時三〇分ころまでで、原告豊田が昼食をとったかどうかは覚えていないが、その場で話をして、午後一時三〇分ころ帰った。」となっている。

(五)  原告豊田は、昭和五八年三月一八日、本件被疑事実と同一の事実を公訴事実として、熊本地方裁判所山鹿支部に起訴された。

2  ところで、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑であれば足りるものと解するのが相当である(前記最高裁判決参照)。その際、同一の証拠に対する評価について、ある程度個人差が生じることは避けられないのであるから、起訴が違法であるというためには、検察官の判断が、証拠の評価について通常生じうる個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、経験則・論理則からして、到底その合理性を肯定することができない程度に達していることが必要であると解すべきである。

これを本件について見るに、まず、本件起訴当時においては、原告らは本件アリバイの成立を訴えており、起訴を決定するか否かについては、この点に関する判断が一応必要とされる状況であったと言うことはできる。この点については、前記のとおり、宮本は午前一一時ころから午前一一時三〇分ころに原告豊田から覚せい剤を譲り受けたと供述しているのに対し、原告らは、いずれも、本件犯行当日は午前一〇時ころに家を出て、寺尾病院で原告平井が点滴の治療を受けている間、原告豊田は上野方にいた旨供述しているところ、上野は、原告が当日同人の家を訪れた時間については明確な記憶を有せず、当初の供述では午前一〇時から午前一一時ころと言い、二回目は午後〇時ころと供述している。しかしながら、特段の事情のない限り、時間についての人の記憶が一般的に曖昧であることは経験則上明らかであるから、右供述をそのまま前提にして本件アリバイの成否を判断することはできないところである。現に、後記認定のとおり、本件起訴後に行われた証拠調べの結果、午前一〇時二十分ころに本件犯行が行われることが可能であったことが明らかとなり、宮本もそれに副う供述をするに至ったのである。しかも、第三者たる上野の供述も時刻に関しては明確を欠くものであって、かような点からすると、本件起訴時において本件アリバイの成立することが明らかであったとは到底言えない。また、後記のとおり、本件有罪判決は、本件アリバイの成立しえないことを明確に説示しているところ、本件無罪判決も、本件アリバイがあると認めることはできないが、アリバイの成立する余地のあることは否定できないとしているに過ぎないのであって、かような点に鑑みると、本件アリバイの成否の判断に違いが生ずるとすれば、それは、証拠の証明力の評価に関して通常生じうる個人差に基づくものと言うべく、本件アリバイが成立しないとした検察官の判断が、経験則・論理則に反する著しく不合理な判断とは到底言えない。

他方、本件起訴当時には、宮本が逮捕時に所持していた白色粉末が覚せい剤であるとの鑑定結果及び原告豊田に覚せい剤を取り扱うべき者の指定がないことが明らかになっていたほか、宮本は、本件起訴当時においても、本件被疑事実について、一貫してそれに副う詳細かつ具体的な供述を繰り返しており、その信用性を覆すに足りる客観的な証拠は何ら現れていないのである(そればかりか、同人の供述が相当部分客観的事実に合致していることが本件起訴後の証拠調べで判明するに至ることは後記のとおりである。)。なお、宮本の供述の信用性については、本件有罪判決がこれを認めたのに対し、本件無罪判決はそれを否定しており、それが本件被疑事実に関する判断が分かれる決め手となっていることは後記のとおりであるが、供述の信用性ということ自体、判断の微妙に食い違い得る事柄であるし、宮本の供述が前記のとおり詳細かつ具体的である(しかも、相当部分客観的事実に合致している。)ことからすると、本件起訴の段階において、検察官が本件被疑事実に副う宮本の供述を信用して本件被疑事実の証明ありと判断したとしても、それは何ら経験則・論理則に著しく反するものとは言えない。

また、本件起訴後の第一審の経緯は後記のとおりであり、そこでは種々本件被疑事実に副う証拠が顕れているものの、それを否定すべき有力な証拠は、後記の芹川証言以外特になかったのである(本件有罪判決と本件無罪判決の結論の違いは、後記のとおり、宮本証言の信用性及び本件アリバイに関する各証拠の信用性の判断の違いに由来するものである。)から、かような事情に徴すると、本件起訴当時において、当時蒐集した証拠以外に本件被疑事実を否定する可能性のある有力な証拠を特に見出せなかったであろうことも容易に推認しうるところである。なお、芹川証言が本件被疑事実を否定すべき証拠となりうることは明らかであるが、右証言自体の信用性については、本件有罪判決はこれを否定していることは後記のとおりであるほか、少なくとも、本件起訴当時において、右供述を得られなかったことをもって、検察官の捜査に粗漏があったと言うことは到底できない。

してみると、本件起訴当時、検察官において、本件被疑事実につき有罪判決を得る可能性について、通常生じうる個人差を考慮してもなお経験則・論理則に著しく反した判断をしているとは到底言い難く、結局本件起訴は適法と言うべきである。

四  本件勾留継続及び本件有罪判決の違法性について検討する。

1  <証拠略>、前記認定事実を総合すれば、本件起訴後の第一審の経緯は以下のとおりであったと認められる。

(一)  宮本は、第二回公判期日において、要旨以下のとおり、犯行に至る経緯及び犯行状況等につき、捜査段階での供述と大筋で一致し、本件被疑事実に副う証言を行った。

(1) 昭和五八年二月五日は瀬高農協まで建築資材を運搬し、午前九時ころに瀬高農協を出て山鹿に向かった。

(2) 途中で原告豊田に電話をして覚せい剤の譲り渡しを依頼し、その旨了承を受けたので、原告方に向かった。

(3) 原告豊田方の裏に車を止めると、原告豊田が出てきてマッチ箱を振ったので、それに覚せい剤が入っているものと思った。

(4) 原告豊田方の裏の空地でマッチ箱を受け取り、マッチでタバコに火をつけようとしたところ、銀紙に包装されたものが入っていたので、それが覚せい剤であると思い、代金一万円を原告豊田の上着のポケットに入れた。

(5) 時間は午前一一時か午前一一時三〇分ころであった。

(6) その場所には原告豊田と宮本の二人だけであったが、近くに主婦と工事人夫が見えた。

(二)  宮本の右供述のうち、(1)は当時瀬高農協の店舗建設を請け負っていた田中治義の第五回公判期日における証言により、(2)のうち、宮本が電話をしたという電話機の存在については司法警察員作成の昭和五八年一〇月二四日付捜査報告書により、(4)のうち、空地の存在については司法巡査作成の同日付実況見分調書により、(6)のうち、人夫の存在については、当時現場付近で住宅の建築工事を請け負っていた業者の妻である池田カオルの検察官に対する昭和五八年一二月一二日付供述調書及び検察事務官作成の同日付電話録取書により、いずれも裏付けられている。

(三)  宮本は、第六回公判期日において、再度本件被疑事実につき証言したが、その際、本件覚せい剤授受状況につき、「原告豊田から覚せい剤を譲り受けた際、覚せい剤はビニール袋に入っており、ちり紙に包まれてマッチ箱に入っていた。マッチでタバコに火をつけたことはなく、そのまま持って帰った」等、第二回公判期日における証言と異なる証言を行ったほか、本件犯行時刻について、瀬高農協を午前九時二〇分ころに出たとすると、それは午前一〇時三〇分ころになると訂正した。右犯行時刻に関する供述の変遷は、本件犯行日と同じ土曜日である昭和五八年一〇月二二日、同日の午前九時二〇分(この時刻は、第六回公判期日において、宮本から建築資材の搬入を受けた前記田中治義が、宮本が同所を出発したのは当日の午前九時二〇分ころである旨証言したことに基づくものである。)に瀬高農協を出発して原告方まで宮本所有の車で同人の運転により走行実験をした結果、その所要時間が五一分であったこと、及び途中宮本が原告豊田方に三回電話した時間を六分ないし九分として、瀬高農協から原告方まで約一時間かかることが判明した結果に基づくものである。それら以外の点では、第二公判期日における証言と概ね一致する内容の供述を繰り返した。

(四)  訴外芹川良典(以下「芹川」という。)は第四回公判期日において、要旨「原告豊田が逮捕された翌々日に原告豊田方を訪れた際、原告平井から、原告豊田が宮本に覚せい剤を譲り渡したことで逮捕されていること及び原告豊田がその事実を否認していることを聞かされた。そこで、後日宮本方に借金の返済を求めに行った際、宮本に右事実を質したところ、宮本はそれは自分が虚偽の供述をしたためであると述べた。」との証言を行った。これに対して宮本は、第六回公判期日における証言で、芹川が借金の取立に来たことは認めたものの、芹川に対して原告豊田の話をしたことはない旨、芹川証言を否定する供述を行った。

(五)  第一審における本件アリバイに関する証拠は要旨以下のとおりである。

(1) 本件犯行当日、原告豊田が、原告平井を同乗させて車で自宅を出発し、寺尾病院で点滴治療のために原告平井を降ろした後、上野方を訪れて時を過ごし、同人方から再び寺尾病院に戻って原告平井の点滴終了後、二人で久留米競輪場に行って競輪を楽しんだことについては、関係者の証言は一致するものの、原告豊田が自宅を出発した時間等、当日の原告豊田の行動の時間関係については、第一審の検察官と弁護人との間で争いがあり、関係者の証言も一致していない。

(2) 原告らの公判廷における供述及び寺尾病院の看護婦である訴外森真由美の検察官に対する供述は、いずれも、原告平井の点滴に要する時間を約一時間三〇分としている。

(3) 司法警察員作成の昭和五八年一〇月二四日付捜査報告書によると、原告豊田方から寺尾病院までの距離は一七キロメートルで車での所要時間は二四分であり、寺尾病院から上野方までの距離は〇・六キロメートルで車での所要時間は一分であるとされている。

(4) 司法警察員作成の昭和五八年一一月一日付捜査報告書には寺尾病院の本件犯行当日の日計表が添付されており、それによると、日計表は一枚に四〇名の記載ができる用紙七枚からなり、その内の七枚目の最後から七人目に原告平井の名前が記載されている。この点につき、寺尾病院の看護婦である訴外徳永郁子(以下「徳永」という。)は、第四回公判期日において、「本件犯行当日は同病院で昼休み当番として会計を担当した。日計表は料金の支払いを受けた順に記載するので、当番についたのが午後一時だとすると原告平井が料金を支払ったのは午後二時前後と思う。仮に午後〇時三〇分当番についたとしたら午後一時三〇分前後と思う。昼休みは午後〇時三〇分から午後一時三〇分までだが、遅れることも多いかわり、午後〇時三〇分よりも前に当番につくことはない。」旨証言した。

(5) 原告豊田が上野方を訪れた時刻に関し、上野は、午前一一時ころに原告豊田に会ったが、その時原告豊田は既に家にあがりこんで妻のミチコと話していた旨、ミチコは、原告豊田は午前一〇時ころに来て、一時間くらい話し込んだころに夫がやって来た旨、訴外高根憲昭は、当日は上野方で鶏小屋を作る手伝いを午前中に始めたが、原告豊田は作り始めて一時間くらいたったころにやって来た旨、訴外吉田敏昭は、当日上野方で鶏小屋を作る手伝いをしたが、原告豊田が来たのは午前一一時ころであった旨、それぞれ証言した。

(6) 原告平井は、自宅を午前九時三〇分ころに出て、午前一〇時ころ寺尾病院に着き、点滴が終わるまで上野方で待つよう原告に言って別れたが、一時間くらいしてから点滴が始まり、午後〇時四〇分ころに終わった旨証言した。

(7) 原告豊田は、上野方を訪問した時刻は午前一〇時過ぎころで、三〇分くらいミチコと話し込んでいたところに上野がやって来た旨供述した。

2  <証拠略>によれば、前記各証拠に対する本件有罪判決及び本件無罪判決の評価は要旨以下のとおりであると認められる。

(一)  本件有罪判決

(1) 宮本証言の信用性について

宮本証言のうち、前記の裏付け捜査の結果により得られた証拠に符合する部分は極めて信用性が高いのみならず、宮本証言は、本件覚せい剤授受の状況、右授受に至るまでの自己の行動等極めて自然かつ詳細に、また矛盾なく供述しているところ、その枢要部分が客観的事実に符合していることは、全体としてその信用性を高めている。

もっとも、宮本は第六回公判期日における証言において、覚せい剤授受状況及び犯行時刻について供述を変遷させているが、覚せい剤授受状況については、供述の変遷は細部に亘る事柄についてであって、大筋では一致しているばかりでなく、時間の経過による記憶の変容の可能性を考慮すると、右一部の変遷をもって宮本証言の信用性を否定することはできない。また、犯行時刻の変遷は、後日行われた走行実験の結果に基づくものであって、人の時間についての記憶が一般的に曖昧であることも考慮すると、この点に関しては第六回公判期日における証言の方が信用性が高いと言うべきである。

宮本が捜査段階の当初において赤星を本件覚せい剤の入手先としていたのを原告豊田に変更したことは、宮本と原告豊田の親しい付き合いを考えれば、原告豊田を庇うために赤星の名前を出したことは充分考えうることであって、この点の供述の変遷を不自然・不合理とすることはできない。

芹川証言については、原告豊田は本件勾留後接見禁止処分を受けていたのであるから、同人の逮捕後翌々日に同人の被疑事実や弁解を聞き及んでいたとする芹川の証言は到底措信できず、同証言をもって宮本証言の信用性を減殺することはできない。

(2) 本件アリバイについて

徳永証言は日計表という物証を根拠に供述しているものであり、信用性が高い。仮に原告豊田に有利に三〇分の幅をもたせても午後一時三〇分には寺尾病院を出ていたことになる。そうすると、点滴に要する時間を一時間三〇分とし、当日の待ち時間を原告平井の証言どおり一時間としても、少なくとも午前一一時ころまでには寺尾病院に原告らは到着していることとなり、原告豊田方から寺尾病院までの所要時間が約二四分であることに照らすと、原告豊田は少なくとも午前一〇時三〇分過ぎまでは自宅にいたことになり、本件犯行時刻が午前一〇時二〇分ころであるから、本件アリバイは成立しない。

原告豊田が上野方を訪れた時刻は、原告らが寺尾病院を訪れた時刻とほぼ一致するが、この点に関する上野、ミチコ、高根、吉田らの証言は、本件犯行時から五か月以上後になされたものであり、しかも単なる記憶ないし推測に基づく供述に過ぎないから、これらにより原告豊田が寺尾病院を訪れた時刻を左右するものではない。

(二)  本件無罪判決

(1) 宮本証言の信用性について

宮本は、以前にも数回原告豊田から覚せい剤を譲り受けたことがあるのだから、他の機会に経験したことを本件犯行当日の出来事として述べたことも考えられなくはないから、同人の供述の具体性をもつて直ちに信用性があるとは言えない。

覚せい剤授受の状況に関する宮本の証言は、第二回公判期日における供述と第六回公判期日における供述において、顕著な食い違いを見せており、しかも、供述内容自体不自然であって、宮本証言の信用性は高いとは言えない疑いがある。また、本件犯行時刻に関する供述の変遷は、単なる記憶違いないし時間に関する記憶の一般的曖昧さによるものとは言い切ってよいか疑問があり、現実に体験していないことを述べている疑いを否定できない。

宮本が本件覚せい剤の入手先を赤星から原告豊田に変更したことについては、入手先を秘匿する必要がある場合、もともと別件とはいえ自己と覚せい剤の取引があるため所詮処罰を免れないような者を入手先にすることにより、虚偽の供述を続けるということもあり得ることであるから、宮本と原告豊田が親しい関係にありながら原告豊田に不利益な供述をしているからといって、それだけでは宮本証言に信用性が高いとは言えない。

芹川証言については、同人の立場からすると、宮本に会ったときに原告豊田の話が出るのは自然であり、また、その内容も体験した者だけが述べることのできる真実性のあることが窺われ、宮本が芹川証言のような告白をした可能性は否定できない。また、原告平井は原告豊田の逮捕の翌日に取調べを受けて、本件被疑事実の要旨を聞かされていたうえ、原告豊田の逮捕が新聞でも報道されて、本件被疑事実が宮本に関するものであることを知ったのであるから、芹川がそのころ本件被疑事実が宮本に由来することを知る可能性はあったといえる。

(2) 本件アリバイについて

原告豊田が寺尾病院に到着した時刻及び同病院を出た時刻については、原告豊田と利害関係のない客観的な証拠により認定することは困難である。徳永証言も、具体的な記憶に基づいているのではなく、結局平均的患者数と通常の診療状況を前提とする推測に過ぎない。日計表に記載された当日の患者数はかなり少ないものと認められるから、午前中に受け付けた患者の診療がいつもより早く終わっていることも窺われるので、原告らが午後二時に寺尾病院を出たという徳永の供述の信用性にはかなりの疑問があると言わざるを得ない。

この点に関する原告豊田の供述は、原告平井、上野、ミチコらの証言と一致しており、直ちに信用できないとすることはできず、結局、原告らが寺尾病院を午後一時前に出たことを否定することはできない。そうすると、本件犯行時刻とされる午前一〇時二〇分前後ころに原告豊田が自宅にいたか否かについては確定できず、本件アリバイが成立すると認めることはできないまでも、アリバイの成立する余地があることは否定できない。

また、原告豊田の本件アリバイに関する供述は、当初から明確になっていたものではなく、紆余曲折を経て詳細な供述をするようになっているのであり、初期の段階においては、近所で左官の手伝いをしていたかも知れないというこれと矛盾するあいまいな供述すらしているのであってこれはアリバイの偽装を行おうとする者の心理とは相いれないものであり、上野ら第三者の供述による裏付けもあることから、原告豊田の本件アリバイに関する弁解を信用性に乏しいものとすることはできない。

3  ところで、裁判官がした争訟の裁判につき、国家賠償法一条一項の規定にいう違法行為があったものとして国家賠償責任が肯定されるためには、右裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とする(最高裁判所昭和五七年三月一二日判決民集第三六巻第三号三二九頁参照)ところ、以上認定の事実によれば、第一審の裁判官が、本件勾留継続及び本件有罪判決を行ったことは、証拠に基づく客観的な判断に基づいてしたものであることは明らかであって、右のような特別の事情が存することを窺うことは全くできない。

原告らは、本件有罪判決は証拠の判断において著しい誤認があると主張し、それをもって、本件有罪判決の違法性を基礎づけようとするもののようであるが、かような証拠判断の誤り自体、元来もっぱら上訴等により是正されることをもってその救済手段とされるべき事柄であるばかりか、前記認定事実によれば、本件有罪判決と本件無罪判決の結論が異なったのは、本件被疑事実に副う宮本証言の信用性及び本件アリバイに関する各証拠の信用性に関する判断が異なったことに基づくものであって、前記挙示の証拠関係のもとでは、その判断の食い違い自体、裁判官に許された自由心証の範囲内であることも明らかである。本件勾留継続の必要性についての裁判官の判断も同様である。

したがって、本件勾留継続及び本件有罪判決はいずれも適法と言うべきである。

五  よって、その余の点につき判断するまでもなく、本訴請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 足立昭二 大原英雄 喜多村勝徳)

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